大判例

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仙台高等裁判所 昭和54年(う)266号 判決 1980年1月30日

本籍

宮城県石巻市立町二丁目一〇五番地

住居

同県塩釜市宮町二番二〇号

歯科医師

目黒文雄

大正一二年六月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年七月一六日仙台地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月及び罰金二七〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柴田正治提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、量刑不当の主張である。そこで記録を調査し、当審における事実取調の結果を合わせ検討すると、本件は、歯科医師である被告人が二重帳簿を作成し自由診療収入の大半を秘匿するなどして、三年度にわたり総計一億円を超える多額の所得税をほ脱した事案であり、国民の財政収入確保のための国家の課税権を侵害し、税負担の公平を侵害する社会的影響が大きな反倫理性の高い所為というべきである。所論は、本件犯行の動機として子供達の将来の生活資金の備蓄のことなどを挙げるが、誠実な他の納税者のことを考えると、いずれも自己本位のもので宥恕される動機となるものではない。以上によると、租税の使途など所論が指摘する諸事情を考慮しても、犯情は軽視することができず、原判決の刑(懲役一年六月及び罰金三〇〇〇万円)もあながち首肯し得ないわけではない。

しかしながら、他方、被告人が本件で摘発を受けて以来率直に事実を認め、本件に基づく本税、延滞税、重加算税、地方税など総額約二億円を昭和五四年一二月末までに完納したこと(原判決後の支払額約四二三四万円)やこの種事犯の量刑の実情などをも斟酌すると、原判決の刑は罰金額においていささか重きに過ぎるものと考えられる。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに判決することとし、原判決の認定した事実にその挙示の各法条を適用して、主文のとおり判決する。

検察官 中野林之助 出席

(裁判長裁判官 杉本正雄 裁判官 武田平次郎 裁判官 清田賢)

○ 昭和五四年(う)二六六号

控訴趣意書

所得税法違反 被告人 目黒文雄

右被告事件につき、昭和五四年七月一六日仙台地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人より申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

昭和五四年一〇月二日

右弁護人 柴田正治

仙台高等裁判所

第一判事部 御中

原審裁判所の刑の量定は、重きに過ぎるので、破棄せらるべきものと思料する。

原審裁判所は、本件被告人に対し、懲役一年六月(二年間刑の執行猶予)及び罰金三〇〇〇万円の判決を言渡したが、左記諸般の事情を考慮すると右量刑は不当に重い。よろしく更に減軽すべきものと思料する。

一、はじめに

(一) 国税局の本件調査は、いうまでもなく所得税法等に則つて行われたものであり、その後の検察官による捜査と起訴は、右調査の結果を踏まえてなされたものである。

ところで、所得税法第一条は「この法律は、所得税について、納税義務者課税所得の範囲‥‥‥その納税義務の適正な履行を確保するため、必要な事項を定めるものとする」とし、そうして同法第二三八条以下の罰則をもつて同法所定の納税を強制しているのである。

然し、このような所得税法の成り立ちを是認するためには、一定の条件が前提とされていることは、いうまでもない。これを約言するならば、あまねく行われるべき社会的正義の有無であつて、本件の場合、それは、租税負担公平の原則の実現であり、又、憲法第九〇条「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度にその検査報告とともにこれを国会に提出しなければならない」、同第九一条「内閣は、国会及び国民に対し定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない」条項の実質的な機能発揮である。この二ケ条は、政府の国会及び国民に対する税金の使途についての適正妥当さの報告義務を定めたもの、いわゆる財政公開、財政民主々義の強化徹底原則の宣言に外ならない。

従つて、所得税法の、特に罰則の強い適用は、右の如き前提条件の実現充実があつて初めて考えられることで、これなくして、厳罰のみの強行はあり得ず、もし、これを強行すれば、それは、却つて逆効果をもたらすに過ぎないのであるが、これ等前提条件は、果して所期のとおり実現、充実しているであろうか。

(二) しかるに、右条件の実現充実については、周知のとおり、野党の無自覚もあつて、全くみるべきものがなく、憲法(第九〇条同九一条)の空洞化と批難されている(日本大学教授北野弘久著現代税法の構造)こと後述のとおりである。

だとするならば、型の如く所得税法に則りハヂキ出されたソロバンの結果をその儘鵜呑みにしてこれを評価し、これに罰則を当て嵌め、本件を痛烈に批判非難しようとすることは不当であつて許されないと思われる。

二、本件動機について

本件動機については、大いに酌量すべきものがある。

この動機には次の五つのものがあると認められる。

(一) 子供達の将来の生活資金等の備蓄のため

(二) 古くなつた診療所等改築資金確保のため

(三) 医療過誤の場合の損害賠償請求に備えるため、

(四) 現行税制等の不備欠陥

(五) 税に対する社会的風潮

である。

三、動機の検討

(一) 右動機の中、子供等のため、診療所改築のためというのは、多額の資産を有しない被告人の場合、何人も納得し得るところである。

この点、既に検挙報道されて公知の事実である、かの勅使川原蒼風や尾上松緑又は工芸会の重鎮で日展会長である山崎覚太郎等の巨額の脱税事件、近くは、自民党の竹下登や福田前総理のいわゆる申告洩れ事件とは、全くその類を異にしている。これ等は古くから社会的地位があり、名誉を有し、しかも尨大な資産を持つていたもの、特に、福田前総理や竹下にあつては、日本の政治を支配していたものであるが、右の事件は、更に利を逞うしたものというべきであらう。

これと違つて本件にあつては、被告人が原審法廷において詳言したとおり、五人の子供がおり、又、診療所、居宅は約五〇年前の建築にかかる、しかも、倉庫を改造したもの、医療用機械器具も一〇年以前の購入にかかり、既に新規購入の時期に達しているものであつて、いずれも早期の改築、更新を迫られていた。しかして、この診療所改築費だけでも七、八千万円の資金を要するところ、医療金融公庫からの長期低利の融資は限度三千万円に過ぎず、その余は一般市中銀行からの融資に頼らざるを得ない状況である。

この一事をもつてしても、被告人の胸中は充分察することが出来る。

(二) 被告人が原審法廷で述べたとおり、被告人の場合、その医療業務は激務である。開業以来三〇年、早い時は朝四時から深夜一二時迄、しかも早朝と深夜の場合は、看護婦等を使用することが出来ない為、被告人夫妻のみで医療業務に従事して来たものである。しかも、昨今、医師、歯科医のタライ廻し、不親切等事例の報道が多いが、被告人夫妻には、そのような悪評は全くなく、献身的に医療に精励して来た。更に、留意すべきは、医療過誤に対する世論の昂まりである。

医療過誤は、治療医にとつては致命的打撃である。信用問題であるばかりか、刑事的責任は勿論、数千万円の損害賠償責任をも負わされることになる。この医療過誤防止に対する慎重な配慮、処置、心労は、被告人が原審法廷で述べたとおり、余人の想像し難いものがある。被告人の供述によれば注意を払つても、患者の特異体質等のために医療過誤、又過誤とまでは行かないにしても事故の起ることは避け得ないという。医療に従事するものとしては、かかる万々一の場合に対処して、それ相応の用意、準備しておくのも当然のことであろう。医師優遇税制が問題となつてから久しい。然し、同税制が依然として存続している所以のものは、存続についてのそれなりの充分の理由があるからである。即ち、右述の如き被告人夫妻の献身的努力があつたとしても、法人企業の場合と違つて、個人企業の場合は、事業主の企業に対する労働の提供は必要経費とされることはなく、又、妻の労働の提供も同様で、配遇者控除が認められるに過ぎないことや、医療過誤防止に対する熱意と心労への配慮がそれである。医師優遇税制からの非難は、被告人の場合、事の実体を認識理解しない全くの形式皮相の見解である。

(三) 以上の動機に関連し、本件を批判し評価するに当つては、現行税制の不備欠陥を看過することは許されないと思う。現行税制には、幾多の不備欠陥があつて不公平な課税結果になつていることは周知の事実である。

その一つは、大企業優遇税制である。かつて「税金は公平か」という題で毎日新聞に連載記事(51・10・3~51・10・17)が載せられたが、それによると「租税特別措置等大企業優遇税制を廃止すれば、年増収二兆六千億円に達する。法人三税(法人税、県市民税、事業税)は、大企業を手厚く保護しており、新日本製鉄の場合を例にとれば、法人税だけの一年の課税所得は、一、二五六億円であるのに、各種軽減措置のために、これが二八一億円に過ぎなくなる」とあるが、その余りの非道さには呆れるより外なく、又、「この不公平税制を是正すれば七兆円の増収になる」という。又、朝日新聞の「不公平感強める納税者」「傷だらけの財政」の記事(53・11・4~53・11・9)は、世論調査の結果を基礎に叙上の不公平税制の状況と不満を裏付けており、現在、衆議院議員総選挙の争点も不公平税制の是正が重要なポイントの一つになつていることは、洵に顕著な事実しかして、かような不公平は、ほんの一例に過ぎないが、この税制の中にあつて、所得税は余りにも恵まれるところが少ない。前記北野論文も指摘する如く、過酷な程の累進税率の高さである。又、同じく指摘の前叙法人企業と比較した場合の個人企業の負担の重さ、不均衡である。生活安定のための資産の蓄積、設備投資、再生産のための資金の確保を必要とする個人事業者にとつては、それは不可能といわざるを得ないような悪税制である。

本件についてみるに、課税所得から所得税、事業税、県市民税を差引けば、現税額から一見想像されるような多額の所得は残らない。

そして、長男は歯科医大、二女は薬科大に在学中で、その学費等の嵩むことは周知のとおり、家計費その他を含めればかなりの額に達するものと思われ、資産の蓄積、再生産のための資金保留等相当苦しいことは明らかである。

このように累進税率が高く、県市民税等も高額なのに、前記のとおり、被告人及びその妻の苛酷ともいえる働きは、税法上何等の評価も得られていない。

茲において、八百屋、魚屋、肉屋等の零細個人企業は、その組織を株式会社組織とし、自らは社長、長男を専務、妻を常務取締役等として五〇万なり八〇万なりの月給を与え、必要経費と称して個人的利益を求める智恵を産み出した。いわゆる「法人成り」である。

医師の場合、株式会社組織等にすることは法的に出来ない相談である。

本件の場合、かような税制に対する不平・不満が被告人にあつたかどうか、もしあつたとして、それが本件動機の一つになつたかどうか、明らかではないが、意識しないまでも深層心理の奥底にあつたのではなかろうか。あつたとしても、当然のことで不思議ではなく、又、責めらるべき筋合いのものではなかろうと思われる。

(四) そうして庶民を脱税へと更に駆り立てるものとしては、政、財界の腐敗がある。田中金脈、ロツキード、グラマン事件は申すに及ばず、査察調査の手も及びかねる世界的規模化した超一流企業や商社の脱税、先般も日商岩井の六二億円に達する申告洩れが国税局によつて摘発された。これ等の洵に悪質、重大な事犯の自粛、検挙、厳罰なくして一地方の小さな脱税の防止、厳罰を云々することは、全く空しい。

(五) 又、庶民の納税意欲をそぎ、脱税を企図させるものとして、政府による税金の無駄使いがある。その典型の一つが各種公団であつて「役人救済の公団を全廃せよ」の平沢正夫論文(53・6・宝石所載)は、無用の公団に巨額の政府資金を無駄に浪費している政府の失政を痛烈に非難している。最近、参議院議員の野末陳平も新聞紙上で同旨の批判を展開していることは周知のとおりであるが、前叙の北野教授は前記論文等で「従来の法律学においては、租税の徴収面と使途面とは、法的に切断されていて、納税者は、租税の徴収面においてのみ登場することになつていた。租税の使途面の問題は、法的には、納税者の問題ではないという姿勢が支配していた。しかし、これからの租税概念は納税者の立場から構成される必要があり、しかも、それは単に租税の徴収面のみならず、租税の使途面をも含んだ概念として構成される必要がある。そうしなければ、納税者の人権を真に擁護することは出来ない。こういつた点から納税者基本権の構築が検討されなければならない」と力説しているが、全くそのとおりである。

現行税制では、刑罰で脅かし乍ら租税を取り立てる。然し、一旦、これを取り立ててしまえば、どのようにこれを使おうと自由勝手で、かつ、責任を追及されることはない。昔の専制封建時代ならいざ知らず、今時、こんな馬鹿な話の通る筈はないのであるが、現実は立派に堂々と罷り通つている。

前叙のとおり、憲法第九〇条同九一条は、この税金の使途に関し、チエツクする絶好唯一の機会と場所とを与えているのに何故か所期の如く作動し、血税を納めた庶民の期待に応えたためしがない。

刑罰をちらつかせ乍ら租税を徴収し、脱税した者に厳罰を課するのであるならば、徴収した租税の使途につき不正、不当があつた場合、これも刑罰をもつて厳しくその責任を追及するのが理屈である。これが常識というものであろう。

この誰にも判る理屈と常識のとおらない処に庶民の、納税者の不平と不満がある。そして、それが脱税といつた形で表われて来る。

この素朴にして、しかも、鋭くて正しい庶民の納税者の感覚、感情と論理を看過して逋脱犯の責任を論することは出来ない。

当弁護人は、これ迄に数多くのこの種事件を手掛けて来たが、その度に右の点を痛感し、この点を裁判所に訴え、ある程度の理解と共鳴を得て量刑に反映させて頂いて来た。周知の如く、今次の総選挙に伴い、世論は漸く税金の無駄使いに目覚め、その使途追及に関心を示し始めたようである。

即ち、朝日新聞の「財政再建」(54・9・12以下連載)同新聞の「公費天国」(54・9・15以下連載)毎日新聞の「増税への疑問」(54・9・22以下連載)、「鉄建公団その他の不正経理」(54・9・9朝日、毎日新聞)、日本経済新聞の「納税者の心を踏みにじる環境庁のカラ出張」(54・9・23)、朝日新聞の「病める財政」(54・7・2以下連載)等であつて、連日、血税の浪費振りを精力的に解説報道し、その改革是正を強く迫つている。当弁護人をして云わしむれば、何を今更という想いでもあるけれども、漸くにして好機至れり、前叙憲法空洞化是正の秋、血税を納めて来た庶民の願いの叶う時との念の切なるものがある。本件の場合も、動機の一つとして、前記の如く、被告人の深層心理の裡に右述の不合理に対する不満があつたものと思われるが、仮にあつたとしても、それは極めて当然で、妥当なものであろう。

かくして庶民をして納税意欲を無くさせるどころか、脱税へと誘惑し駆り立てるそのものは、正に政府自体であるといわねばならない。

かの本居宣長は「下に非なくして、みな上の非なるより起れり」と云つているが、正にそのとおりである。

これに対する深刻な反省なくして被告人のみを激しく責めるのは甚しく酷で、かつ失当といわざるを得ない。

三、本件事案の内容について

(一) 本件の捕脱額は、三事業年度合計一〇六、三四七、九〇〇円であるが、前叙の巨額の脱税事案に比較すれば、多額とはいい難い。しかも、右逋脱額には五一年度五二年度雑所得合計一八、四〇〇、〇〇〇円も含まれている。これは大山に対する貸付金の利息であるが、これは現実に被告人の手に入つたものではなく、形式的なものである。税務計算上、債権発生主義の建前から雑所得として取扱われたものであつて税法上やむを得ないとしても情状として大いに酌むべきものがある。

然して逋脱犯は、国家の租税債権を保護法益としているが、被告人は、当然のことながら借入れ等により、既に合計一七八、八四三、九七〇円の税金を納付した。残すところは二五、三四二、八〇〇円で、これも本年中には完納することになつており、国家の租税債権は完全に充足されたといつてよい。この点は、財政犯罪として大きな情状とすべきである。

(二) 本件逋脱の手配方法は詳述するまでもなく、既に報道された前記事案のそれに比較すると格別悪質巧妙という訳のものでは決してなく、むしろ幼稚にして拙劣と評して過言ではない。

(三) そうして、簿外資産の処理にしても、この種事件によく見られるが如き、贅沢三昧にふけり豪奢な生活を送るのに費消したというのではない。被告人が原審公廷で述べたとおり、営々として一途に働き一銭の無駄使いもなかつたことが、よく窺われる。前叙のような早朝、深夜にわたる肉体的、心理的重労働に従事する者にとつては、いわゆる相当のバカンスも必要と思われるのに、被告人夫妻はそれすらも控えて苦斗し奉仕した。その結果が夫妻の健康を蝕んだことであり、本件でもあつた訳であるが、これに対し更に一層の刑罰を科することは、洵に酷と思われる。

四、その他の情状

(一) 被告人は、本件に関し、国税通則法第六八条により合計三二、七一九、四〇〇円の重加算税を納付した。

茲で重加算税の二重処罰論、違憲論を述べるつもりはないが、周知の最高裁大法廷の重加算税合憲論には極めて釈然としないものがある。

所得税法にいう「詐偽不正の行為」と国税通則法にいう「事実の隠蔽」とは、一体どのように違うのであろうか。東京大学教授金子宏外の「税法の基礎知識」は、両者にあまり差異はないと述べている。

最高裁のいうことは、余りにも税金を取り立てる側からの一方的論理であつて、取られる側の論理と感覚を全く無視したものと評せざるを得ない。元大蔵官僚であつた阿南主税著所得税法体系等依然として二重処罰説の迹をたたない所以である。

とまれ、刑の量定に当つては、この重加算税についても考慮されて然るべきものと思われる。

(二) なお、量刑に当つては、国税当局の調査査察検挙の不公平を指摘すべきであろう。

日本経済新聞(51・10・14)は、高額所得者、大企業等の密集する大都市に対する査察調査、検挙が極めて手ぬるいのに反し、低所得者、中小企業の多い地方都市に対しての査察、検挙が甚だ厳しいことを指摘して、検挙の不公平を批判した。

正に、そのとおりである。その原因は国税局職員の配置定員の問題に帰着するのであろうが、兎に角、この問題は、正しい納税負担の公平に反していることは事実であつて、この事態を改めることなく放置し、徒らに厳罰に走ることは、国税、検察、裁判をして怨嗟の府たらしめ、却つて逆効果を生むに過ぎない。

更に、前記著名人元政府高官に対する処理の不明朗さも指摘されねばならない。福田前総理、竹下登の事案は申告洩れとして簡単に処理され、尾上、山崎に対する処理も不明である。これらは世人の到底納得し得るところではない。

(三) 又、更に刑の権衡についても留意すべきものがある。前記勅使川原は罰金一億円という大変な寛刑である。尾上、山崎については右述のとおり。そして、かの天下の耳目を聳動したネズミ講の内村健一は改悛の情も反省もなく争つているのに懲役三年(刑の執行猶予三年)罰金七億円であつて、事案の計画性、規模、逋脱額、悪質重大さに比較すれば煩る軽い。

これ等に比較すると、原審裁判所の被告人に対する刑の量定は、著しく権衡を失し不当に重いと思わざるを得ない。

(四) 然して、被告人が述べているように、本件により古参の従業員二名に退職され、患者数も激減し、被告人は勿論家人一同社会的指弾を受ける等、経済的社会的制裁は充分に受けている。

のみならず、これから納付すべき税金の殆んどは銀行融資によらねばならず、診療所等改築も放置できず、その資金繰りを考慮する必要がある。三〇年間辛酸をなめた結晶でもある大山に対する貸付はあるものの、その杜撰な貸付は、回収不能の虞れがある。

このような状況下における被告人に対し、特に三千万円の罰金は、被告人にとつて絶望的というべきである。

歯科医としての被告人の地域社会における役割は甚だ重い。これを失うことは、地域社会にとつて大変な損失であろうと思われる。

被告人が気をとり直し、医療を通じ再び地域社会の健康保持、増進に精励できるよう配慮することこそ、刑政の本義に添う所以ではなかろうか。

更に本件査察以来、被告人方の経理はガラス張りとなり、再犯の虞れはなくなつた。しかも被告人の場合、その教育、教養、社会的地位等において一般刑法犯のそれとは全く違つている。改悛の情に鑑みると長期の懲役刑の必要は考えられない。

叙上の次第なので、原判決破棄の上、更に寛大な裁判を賜わりたく控訴に及んだものである。

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